【この記事の3つの結論】
営業の強さの大半は「暗黙知」です。共有できないのは教え方の問題ではなく、暗黙知を形式知に変える「表出化」が難しいという構造の問題です。
SECIモデルの4工程のうち、営業現場では「表出化」だけが人手と時間に依存し、スケールしてきませんでした[1]。
生成AIは、商談データから暗黙知を形式知化する道を開きました。問うべきは「どう研修するか」ではなく「トップの勝ち筋は、いま形式知になっているか」です。
そもそも暗黙知とは何か:形式知との違い
先に、言葉の整理をしておきます。「暗黙知」と「形式知」という対概念を経営学に持ち込んだのは、野中郁次郎氏・竹内弘高氏の『知識創造企業』です[1]。
形式知とは、マニュアルや数値、手順書のように、言葉や記号にして他者へそのまま渡せる知識のことです。一方の暗黙知とは、経験や勘として身体に染み込んでいるのに、本人ですらうまく言葉にできない知識を指します。この考え方のもとには、科学哲学者マイケル・ポランニー氏の「私たちは語れる以上のことを知っている(We can know more than we can tell)」という洞察があります[2]。
両者を分けるのは、言葉にできるかどうかという一点です。形式知は文書にした瞬間に誰へでも共有できますが、暗黙知は言語化が難しいぶん、共有も継承も簡単にはいきません。自転車の乗り方を完全には説明できないのと同じで、熟練の技ほど形式知になりにくいのです。この「言葉にできない知識を、どう組織で活かすか」こそが、ナレッジ経営の出発点になります。
営業の強さは、ほとんどが暗黙知でできています
そして営業ほど、この暗黙知のかたまりのような仕事はありません。顧客の温度の読み、切り出すタイミング、引くべき場面の判断。どれも本人が無意識のうちにこなしていて、熟練の営業ほど、自分の判断を言語化できないのです。
この暗黙知が、いま企業価値の中心に来ています。マッキンゼーがマッキンゼー・クォータリーで示したように、先進国で最も速く増えているのは、判断と文脈を要する「暗黙的なやり取り(tacit interactions)」を中心とする仕事で、定型業務よりも55〜75%高い賃金がついています[3]。営業はその典型です。商談の一つひとつが、相手や状況に応じた判断の連続だからです。
つまり、営業組織にとって最大の資産は、トップセールスの頭のなかにある暗黙知です。ところが、その最も価値の高い資産が、最も共有されていません。私たちはこの状態を「二次情報依存」と呼んできました。報告書や数字は整っているのに、勝敗を分けた生の判断は、経営にも組織にも届いていないのです。
なぜ暗黙知は共有されないのか:「形式知化」という難所
暗黙知を組織で活かすには、暗黙知を形式知に変える「形式知化」が要ります。SECIモデル(暗黙知と形式知が相互に変換され、組織の知が育つ循環を示した枠組み。共同化・表出化・連結化・内面化の4工程からなる)の言葉を借りれば、暗黙知を言葉や形にする工程は「表出化」と呼ばれます。実は、この表出化だけが、ずっと難所でした。残りの3工程は比較的仕組み化しやすいのに、本人すら気づいていない判断基準を引き出す表出化は、長らく人手と時間に頼るしかなかったのです。私たちはこの構造的な詰まりを「表出化の壁」と呼んでいます。
営業の現場で暗黙知が共有されない理由は、突き詰めると3つに整理できます。
共有の方法が「人から人へ」に偏っていること。OJT、同行訪問、飲みの席での伝授。いずれも暗黙知を暗黙知のまま隣へ渡す方法で、形式知化を伴いません。属人的なまま、その場にいた人にしか伝わりません。
言語化のコストが高いこと。トップセールスに「なぜ受注できたのか」と尋ねても、返ってくるのは「お客様との相性」「流れ」といった言葉です。本人が意識せずにやっている判断ほど、言葉にする手間がかかり、後回しにされます。
これまで形式知化しなくても回っていたこと。終身雇用と、長時間にわたる場の共有があった時代には、言葉にしなくても判断の型が自然に伝わりました。私たちが過去の論考で「阿吽の呼吸」と呼んだ状態です。ところが人材の流動化とリモートワークが、その同期の回路を切りました。表出化されない暗黙知は、もう隣へ伝わらず、人とともに去っていきます。
このコストは、見えにくい形で積み上がります。マッキンゼー・グローバル・インスティテュートの調査によれば、知識労働者は就業時間の約2割を、社内情報の探索や「これを知っていそうな人」を探すことに費やしています[4]。社内に答えがあるのに形式知化されていないために、組織は毎日この探索コストを払い続けているのです。
SECIモデルが営業現場で回らない理由
SECIモデルは、暗黙知と形式知が相互に変換されながら組織の知が育つ循環を描いた、ナレッジ経営の基本枠組みです[1]。理論としては正しいものです。しかし営業現場では、この循環が「共同化(OJT・同行)」のところで止まりがちです。先輩の背中を見て学ぶところまでは進んでも、その学びを形式知に変える「表出化」へ進めないからです。
言い換えれば、多くの営業組織は「暗黙知を形式知に変える」工程を、個人の善意と時間に任せてきました。優秀なマネージャーがいれば部分的に回りますが、それ自体が属人的で、再現できません。SECIモデルが回らないのは理論が間違っているからではなく、表出化を人手でやるかぎりスケールしなかったからです。
生成AIで、営業の暗黙知を形式知に変える
ここに、30年で初めての変化が起きています。生成AIです。マッキンゼーが2023年に公表した調査では、生成AIの最大のインパクトは、これまで自動化が最も難しいとされてきた知識労働、とりわけ意思決定と協働の領域に及ぶとされています[5]。重要なのは、生成AIが定型業務を置き換えるという話ではなく、非構造の対話から判断の構造を取り出せるようになった、という点です。
これは、営業の表出化の壁を、技術ではじめて崩せる入り口に立てた、ということです。商談の録音や議事録から、AIは「誰が、どの場面で、どんな仮説を出したのか」を抽出し、構造化するところまでを一気に引き受けます。ただし、AIが速いのはここまでです。そこから先、どの判断が本当に受注を分けたのかを見極め、その会社の文化や営業スタイルに合った型へ設計し直す工程には、いまもなお人の手が要ります。AIが担うのは抽出と構造化、人が担うのは分析と設計。私たちのような外部の伴走者が価値を出せるのも、まさにこの後半の工程です。
私たちはこれまで、国内大手企業を中心に1,000名以上、計2万時間に及ぶ商談データを、AIで構造化したうえで分析してきました[6]。そこで見えたのは、成果を分けているのが「聞く力」ではない、という事実です。ハイパフォーマーは、業界によってローパフォーマーの2.0倍から3.2倍の頻度で、顧客に「仮説」をぶつけていました[6]。「お客様の話をよく聞きなさい」という日本の営業教育を、データが否定したのです。私たちはこれを「傾聴の呪縛」と名づけました。
重要なのは、この勝ち筋が、これまで多くの企業において、完全に暗黙知だったことです。トップ営業の頭のなかにあり、本人も言語化できず、辞めれば消えていました。それをAIで形式知化し、誰もが使えるレコメンドに落とし込む。私たちはこの組織変革を「一次情報経営」と呼んでいます。これを実践した例が日本M&Aセンター様です。さらなる成長に向けて「営業の属人的な暗黙知を引き出し、形式知化する」ことを起点に据えました。商談に潜む本質的な情報をデータとして押さえ、会話量や顧客から得られた示唆を数値化していきました。その結果、全員が同じデータを見て「共通の勝ち筋」を認識し、最短かつ高い精度で動けるようになっています。
ここで強調したいのは、これがツール導入の話ではない、ということです。ツールにできるのは記録と汎用的なスコアリングまでです。どの判断が受注を分ける一次情報なのかを論点として定め、表出化の壁を越える設計をするのは、経営の仕事です。私たちが営業の型をAIで特定し実装する取り組みを支援しているのは、まさにこの一点においてです。
共有できないのは個人の問題ではなく、OSの問題です
営業の暗黙知が共有されないのは、現場の努力不足でも、教え方が下手だからでもありません。暗黙知を形式知に変える「表出化」が、これまで仕組みとして存在しなかったからです。問題は個人のスキルではなく、組織のOSにあります。
ナレッジ経営の競争軸は、研修の量でも、マニュアルの厚さでもありません。トップセールスの暗黙知を、どれだけ速く、欠落なく、形式知に変えて組織の判断へとつなげられるか。一次情報経営とは、その回路を経営の中核に据えることにほかなりません。経営者が明日から考えるべき問いは、「どう研修を増やすか」ではありません。「我が社で最も受注を分けている暗黙知は誰に宿り、それはいま、形式知になって組織に共有されているか」。経営者一人ひとりが、自分のデスクで答えるべき問いだと思います。
【出典】
[1] 暗黙知/形式知・SECIモデル(共同化・表出化・連結化・内面化)— 野中郁次郎・竹内弘高『知識創造企業』(東洋経済新報社/Oxford UP 1995)。SECIは野中1990提唱。
[2] 「We can know more than we can tell」— Michael Polanyi『The Tacit Dimension』(1966)。
[3] tacit interactions職が最速成長・賃金55〜75%高 — McKinsey Quarterly「The next revolution in interactions」(2005 Q4)。
[4] 知識労働者は約2割を社内情報探索に費やす — McKinsey Global Institute「The Social Economy」(2012年7月)。
[5] 生成AIの最大インパクトは知識労働の意思決定・協働 — McKinsey「The economic potential of generative AI」(2023年6月)。
[6] 2万時間・1,000名以上の商談解析、仮説提示 IT2.0/人材3.2/M&A1.9倍、傾聴の呪縛 — Bring Out 自社リサーチ(公開済み数値)。
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■ 株式会社ブリングアウトについて
ブリングアウトは「対話をデータ化して経営を変革する」ことを掲げ、AIを活用した経営変革を行うAXファーム(AX:AI Transformation)です。経営変革の焦点となる論点を定め(論点設計力)、その論点をAIプロダクトに埋め込み自走化させ(AI実装力)、設計と実装を一体で行うことでスピーディに現場へ展開します(戦略×実装の融合)。
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