日本の製造業には、デジタル化では埋められない「情報断絶」がある。現場の声は報告書に加工され、中間層で濾過され、経営に届く頃には原形を留めていない。製造業の経営幹部として現場と経営の両方を見てきた伊藤泰之氏と、AIを活用した企業変革を支援するブリングアウト代表の中野慧氏が、この構造的課題の本質と突破口を議論しました。
目次
対談相手紹介
伊藤泰之 氏
三菱電機株式会社にて代表執行役専務等を歴任。営業・生産・品質管理の各領域で経営幹部として従事し、大手製造業の組織運営と変革に精通する。現在は複数の企業の経営アドバイザーとして活動中。
情報連携が利益と品質を左右する──製造業固有の構造
中野:
私たちBring Outは「一次情報経営」──現場の生の声をAIで構造化し、経営の意思決定に直結させるという考え方を提唱しています。さまざまな業界のお客様とお仕事をしていますが、製造業からのご関心が特に高いと感じています。
なぜかと考えると、製造業は他の業界以上に、社内の情報連携の質が粗利や品質リスクに直結する構造を持っているからだと思います。ある製造業のクライアントがおっしゃっていたのは、営業がお客さんと握ってきた仕様のリスクアラートが上がってこない、現場で品質保証の議論がされているのにマネジメントに情報が届かず、歩留まりが低いまま製造してしまう──こうした情報流通の断絶が、直接的に収益と品質を蝕んでいるんです。
伊藤:
おっしゃる通りですね。製造業では、一つの情報の扱い方が品質問題にも利益にも直結する。だからこそ、情報をコントロールする側のインパクトが非常に大きいんです。良くも悪くも。
わかりやすいのが営業の現場です。お客さんとのパイプの中で得た情報──ご意見、ご要望、技術的な懸念──これを握っていることが、その営業個人の「財産」になる。それが社内での自分のステータスやポジショニングに直結するから、下にも降ろさないし、上にも上げない。情報をコントロールすることで自分の価値を守っているわけです。
中野:
情報の非対称性が、個人にとってはある種の合理性を持ってしまう構造ですね。
伊藤:
そうなんです。だから何か提案するにしても、その個人が持っているパイプの中でしか物事を考えられない。本来なら組織として持っている知見を総動員すべきなのに、個人の視野の範囲に閉じてしまう。
情報が透明に共有される仕組みがあれば、この壁がなくなる。提案の幅も深さもまったく変わってくるわけです。
「伝言ゲーム」が不祥事を生む──報告書ベースの限界
中野:
営業だけでなく、生産管理や品質保証の領域でも同じ構造があるのではないかと思っています。その辺り、伊藤さんの実感としてはいかがですか。
伊藤:
これは本当に深刻な話です。現場で起こっていることが報告書ベースでしか上がってこない。品質の細かいところが、ある階層で止まってしまうんです。
例えば工場で品質の問題が起きたとする。班長から係長、課長と判子を押して処理される。その所長さんが全部把握しているかというと、100ある情報のうち何パーセント上がっているかは実はわからない。「下に任せてるから」で済んでしまう。
ところが、何か大きな問題が起きたとき、後になって情報が書き換えられて出てくる。生のデータそのものが上がってこなくて、それぞれの階層で報告書に落とし込む作業が発生する。その過程で都合のいいように情報がねじ曲げられ、上の方は「そんな話になっていたとは知らなかった」となる。

中野:
まさに「伝言ゲーム」ですね。本で書いた話とも通じるのですが、各階層で報告書に加工されるたびにコンテクストが失われ、不都合な情報が間引かれる。
伊藤:
そうなんです。それがいろんな不祥事やトラブルに繋がっていく。 実際、日本の大手製造業で品質データの改ざん問題が相次いで発覚しましたよね。あれの根本原因は、結局デジタル化ができていないということなんです。アナログの管理体系の中で、紙ベースで情報が処理され、各階層で報告書にまとめ直される。その過程で情報が歪む。
対策として「品質管理や生産情報を全部デジタル化しろ」とは謳われるのですが、業態ごとに生産の仕方がまったく違う総合メーカーでは、IT基盤の統合すらなかなか進まないのが現実です。
管理強化の悪循環──データが見えないから管理を増やし、営業が死ぬ
中野:
ここで構造的な問題が起きていると思うんです。データが見えないことが起点になって、「ちゃんと管理しなきゃ」という圧力がますます強くなる。管理を強化するために報告業務やコンプライアンス対応が増え、営業の行動が抑制される。するとお客さんの声がさらに見えなくなる──というバッドサイクルが回ってしまう。
伊藤:
まさにそれが起きています。今の営業の現場では、間接業務が圧倒的に増えている。帰ってきたら報告書を書くことに加え、コンプライアンス対応など、その会社特有の管理報告業務に時間が取られる。
ある企業で聞いた話では、かつて30〜40%だった間接業務の負荷が、今は60〜70%まで膨らんでいる。お客さんのところに行ける時間は30%しかない。提案資料を作る時間もない。結局、営業の質がどんどん下がっていくんです。

中野:
そのSalesforceへのデータ入力一つとっても、全営業が毎日5〜10%の時間を取られている。その時間が本来の営業活動からどれだけ奪われているか。
伊藤:
OJTだって同じです。昔は「俺を見て学べ」でよかった。でも今はそんな時間がない。これはもうオールドスタイルの営業であって、新しい技術で全部透明化していかなければ、この悪循環は断ち切れません。
「全部上げろ」では回らない──AIによる情報の重みづけ
中野:
私たちが実際に製造業のクライアントで実装しているのは、現場で話されている内容の中から、「これは事業部長にも伝えなければならない」というレベルの情報をAIが自動的に編集・構造化して、経営層の手元にレポートとして届ける仕組みです。情報に重みをつけて、届くべき情報が届くようにする。
伊藤:
本来そうあるべきです。ただ、ここには一つ重要なポイントがある。
10ある情報を全部そのまま事業部長に上げたら、「何だこれは」という話になる。マネージャー層にも問題はあって、「こんな小さい話をいきなり俺に上げてくるな、ちゃんと処理してから上げてこい」と言う。そうすると現場は萎縮して、結局50%に加工した報告書しか上がらなくなる。
中野:
まさにコンテキストマネジメントの問題ですね。経営者に上がってきてほしいアジェンダのレベルを定義して、AIに教え込む。私たちのクライアントでも、「この問題だけ見る」という形で運用しています。
伊藤:
そう、カテゴリーで分けることが重要なんです。「品質問題や人事問題は、何があっても怒らないからとにかく上げてこい」。一方で「このレベルの話はまず自分で対処してくれ」。その仕分けをしなければ、何でも上がってきて経営層がパンクするか、何も上がってこないかの二極になる。
さらに言えば、緊急性の濃淡もある。めちゃくちゃヤバい話は即座に上げる。まだ時間がある話は少し間を置く。何でも全部上げればいいということにしたら、逆に下が仕事をしなくなりますよ。 「全部上げていいって言ってんだから」と。
中野:
その通りです。AIによる情報の構造化は、中間管理職の役割を奪うのではなく、再定義するものだと思っています。それぞれの立場でやるべき仕事を明確にした上で、AIを使いこなしていく。

伊藤:
逆に言えば、そういう仕組みを入れることで、今まで仕事をしていなかった上司が仕事をせざるを得なくなる。マネージャーを鍛える、教育する術にもなりますよね。
知性・感性・野生──AIだけでは埋められない領域
伊藤:
一方で、営業という仕事はデータだけで完結するものではありません。私が若い頃に上司から言われて今も大事にしているのは、**「仕事には知性と感性と野生が要る」**ということです。
知性の部分は、おそらくAIや機械で相当カバーできるようになる。しかし、一番大事なのは感性です。お客さんに会ったとき、社内でいろんな人と話したとき、「これ言ったらまずいな」「この人には言ってもいいな」と瞬時に判断する力。感性を磨かないと仕事はできない。
上司にどこまで報告するか──これも感性の領域なんですよ。機嫌がいいか悪いかで報告のタイミングを変えるなんて、よくある話でしょう(笑)。
中野:
確かに、感性がポジティブに発揮される場面──たとえばお客さんを巻き込んでプロジェクトを動かしていくときの感性は、非常に重要です。ただ一方で、「この問題は報告しなくていいか」という判断が担当者の感性に委ねられてしまうと、経営者としては怖い面もある。
伊藤:
だからこそ、最初から定義づけをすることが大事なんです。「ここは絶対上げてこい」「ここは自分で処理してくれ」。AIで情報の重みづけと仕分けができるなら、感性に頼らざるを得なかった判断のうち、仕組みで担保すべき部分を明確に分離できる。感性は、もっと創造的な──お客さんとの関係構築や、新しい提案の着想に集中して発揮すればいい。
日本の製造業が変わるとき
中野:
伊藤さんが見てこられた課題は、特定の企業だけの話ではなく、日本の製造業全般に共通するものだとお考えですか。
伊藤:
変わらないと思いますね。特に歴史のある会社ほど、昭和のときに作り上げた仕事のやり方やルールがベースにある。新興のIT企業とは根本的にものの考え方が違う。

たとえば欧米の大手IT企業の本社に行ったことがありますが、そこは完全にペーパーレスです。社員は全員スマホかタブレットしか持っていない。食堂の注文すら全てデジタル。最初からそういう前提で作られた会社と、昭和から積み上げてきたアナログの管理体系を抱えた会社では、スタート地点がまったく違うんです。
中野:
本の中でも書いたのですが、日本企業はコンテクストが非常に豊かです。しかしデジタル化しようとすると、0か1の世界に情報を押し込まなければならず、そのコンテクストが落ちてしまう。もったいないことをしてきた。AIである程度そこを整理できるようになると、コンテクストを踏まえたままデータを蓄積できる。これは日本の製造業にとってポジティブに働くのではないかと考えています。
伊藤:
若い世代はそういう考え方を受け入れる素地がある。ただ、大企業の中にいると古い管理体系の中でなかなか移行が進まない。
しかし、待ったなしの状況でもあるんです。実際に海外でも国内でも中間管理職を大幅に削減しようという動きが既にいろいろな会社で始まっている。管理職を減らすなら、今の仕事のやり方も同時に変えなければ回らない。現場から上がってくる情報をどう処理し、どこまで経営に届けるか──まさにAIの出番です。
中野:
管理職を減らすだけでは解決にならない。情報の流れ方そのものを再設計する必要がある。
伊藤:
その通りです。逆に言えば、AIによる情報の透明化と再構造化ができれば、営業部門の存在価値そのものが変わる。御用聞きからソリューション営業への転換が、掛け声だけでなく、仕組みとして実現できる。
営業という仕事の間接業務──報告、調整、管理──これをいかに圧縮するか。これは効率化の話であると同時に、業績に直結する話でもある。本来の営業活動に時間を割けるようになれば、それだけでトップラインが変わってくるはずです。
中野:
製造業の現場で長年積み上げてこられた伊藤さんの実感として、非常に重みのあるお話でした。情報の断絶という構造的な課題に対して、AIがどう突破口になり得るか──具体的なイメージが見えた議論だったと思います。ありがとうございました。
伊藤:
こちらこそ。日本の製造業が持っている現場力は本物です。問題は、その力が組織の壁に阻まれて経営に届いていないこと。AIでその壁を溶かすことができれば、日本のものづくりはまだまだ強くなれると思っています。
Bring Outとは
「対話をデータ化して経営を変革する」ことを掲げ、AIを活用した経営変革(AX:AI Transformation)を行うAXファームです。経営変革の焦点となる論点を定め、その論点をAIプロダクトに埋め込み現場で自走させ、この設計と実装を外部に切り分けず一体で行うことでスピーディに現場へ展開します。コンテクストエンジニアリングによる対話設計、独自のAIエージェント基盤、カスタマイズエージェントが動くソフトウェアの3つを通じて、経営変革を一過性のプロジェクトで終わらせず「常在化」させます。
