「両利きの経営」をAIで実践する

成熟した組織ほど、静かに袋小路に入っていきます。勝ちパターンは磨き込まれ、ベテランの仕事には無駄がありません。それなのに、新しい市場や新しいアプローチに挑もうとすると、組織がまるで動かないのです。既存の型が完成されているほど、そこから外れる挑戦は「非効率」として弾かれていきます。

この現象には、経営学の確かな名前がついています。「両利きの経営」です。スタンフォード大学のチャールズ・オライリー氏とハーバード・ビジネス・スクールのマイケル・タッシュマン氏が提唱した概念で、英語では organizational ambidexterity(組織の両利き)と呼ばれます[1][2]。既存事業を磨き込む「深化(exploitation)」と、新しい型を見つけ出す「探索(exploration)」を、同時にやり切れる組織だけが生き残るという理論です。

両利きの経営とは、突き詰めれば「効率を極めながら、同時に効率を壊す挑戦もできる」という矛盾を、組織として抱えきる力のことです。そして日本の組織の多くは、この片方、つまり深化だけに偏っています。本稿では、この経営理論を具体の現場に持ち込み、なぜ探索ができないのか、そこにAIがどう効くのかを論じます。

この記事の3つの結論

  1. 両利きの経営とは、既存の深化と新しい型の探索を同時にやり切る力です。日本の組織の多くは深化だけに偏っています。
  2. 探索が止まる原因は担当者の意欲ではなく、勝ちパターンが暗黙知のまま固定され、評価がその暗黙知への適合を促し、型を外れた情報が経営に届かなくなるという3つの構造にあります。
  3. 生成AIは、現場の暗黙知を形式知化し、深化と探索を一つのデータ基盤の上で両立させる経営を初めて可能にしました。

両利きの経営とは、深化と探索を同時に抱える力です

両利きの経営という概念の源流は、組織学習論にあります。スタンフォード大学のジェームズ・マーチ氏が1991年に発表した論文「Exploration and Exploitation in Organizational Learning」が原典です[3]。マーチ氏は、組織の活動を「探索(exploration)」と「深化(exploitation)」の二つに分けました。探索とは、新しい可能性・知識・能力を試すこと。深化とは、既存の資源・知識・能力を磨き込み、効率を高めることです。

この二つは、限られた資源を奪い合う関係にあります。探索に振れば短期の効率は落ち、深化に振れば挑戦の芽は枯れます。マーチ氏は、組織は放っておくと深化に傾く、と指摘しました。深化は成果が読みやすく、探索は不確実で報われにくいからです。

この知見を、実際に動く組織設計へ翻訳したのが、オライリー氏とタッシュマン氏です。両氏は1996年、カリフォルニア・マネジメント・レビュー誌の論文「Ambidextrous Organizations: Managing Evolutionary and Revolutionary Change」で、漸進的な改善(進化的変化)と非連続な革新(革命的変化)を同時に追える組織を「両利きの組織」と名づけました[1]。さらに2004年、ハーバード・ビジネス・レビュー誌の論文「The Ambidextrous Organization」で、その実装の型を示しています[2]。

両氏が35件の革新的事業の立ち上げを調べたところ、探索を担う新しい部門を既存の深化部門から構造的に分け、かつ経営トップの層で両者を強く束ねた企業では、9割以上が挑戦に成功していました[2]。両利きの経営は、精神論ではありません。深化と探索を別の場に分けながら、経営の意志で一つに統べるという、具体的な組織設計の問題なのです。

なぜ組織は、探索ができなくなるのか

ここからが本題です。両利きの経営という枠組みを実際の組織に当てはめると、日本企業の構造的な弱点がくっきり見えてきます。

組織における深化とは、既存の勝ちパターンの磨き込みです。決まった手法で、決まった対象に、決まった流れで成果を出す。その精度を上げ続ける営みです。日本の組織は、この深化が極めて得意です。OJTと現場への同行を重ね、ベテランの動きを写し取り、現場の練度を上げてきました。

問題は、探索のほうです。探索とは、新しい顧客層、新しいアプローチ、新しい仮説を試すことです。ところが、多くの組織はこれができません。その原因は担当者の意欲の問題ではありません。3つの構造的な理由があります。

第一に、そもそも組織の勝ちパターンが言語化されないまま、暗黙知として固定されていきます。勝ちパターンとは本来、形式知化できる何かのはずです。しかし実際には、「型のある人の判断」として、ベテランの経験と勘の中に収まり続けます。終身雇用と長時間の場の共有があった時代には、言語化しなくても判断の型は自然に隣へ伝わりました。しかし人材の流動化とリモートワークが、その同期の回路を切りました。暗黙知は人とともに去り、残された組織には「なんとなくこうする」という感覚だけが残ります。言語化できないものは、引き継ぐことも、更新することも、問い直すこともできません。

第二に、ベテランの暗黙知が評価の基準になると、組織の真面目さが探索を封じます。評価する側のマネージャーやベテランは、自分が体得した勝ちパターンを判断の物差しにします。その物差しは言語化されていないため、部下からは「何となくわかる」型への適合として求められます。問題は、日本の組織において、この求めに真剣に応えようとする人材の密度がきわめて高いということです。真面目さと同調性という、本来は組織の強みであるはずの性質が、ここで逆に働きます。型に合わせることが最も評価される行動として学習されると、最も勤勉な人材ほど深く型に染まります。型を外れた提案や行動は、評価を下げるリスクとして認識されます。挑戦は「非効率」として弾かれるのではなく、評価されないという静かな圧力として遮断されるのです。

第三に、型から外れた情報は組織のどこかで軽視され、経営に届かなくなります。現場では確かに、既存の型に収まらない顧客の反応や市場の変化が観察されています。しかし、その情報を上げても評価の文脈に乗らないことを学習した現場は、やがて報告を加工し始めます。型に合う情報だけを磨いて共有し、型から外れる情報は省く。経営に届くのは、すでに型に合わせて処理された二次情報だけです。市場の変化、顧客の想定外の反応、競合の動き。探索の起点になり得た一次情報は、組織の構造の中で静かに消えていきます。私たちはこの状態を「二次情報依存」と呼んでいます。

マッキンゼー・グローバル・インスティテュートの調査によれば、知識労働者は就業時間の約2割を、社内情報の探索や「これを知っていそうな人」を探すことに費やしています[4]。勝ち筋がどこにも形式知化されていないために、組織はこのコストを毎日払い続け、新しい型を試す余力をさらに失っていきます。

図1:深化偏重を自己強化する3つの構造的な連鎖。①勝ちパターンが暗黙知として固定される→②ベテランの暗黙知が評価基準になり真面目さが適合を強化する→③型外れの情報が遮断され経営に届かない、という三段の連鎖が探索を不可能にしている。

図1:深化偏重を自己強化する3つの構造的な連鎖。①勝ちパターンが暗黙知として固定される→②ベテランの暗黙知が評価基準になり真面目さが適合を強化する→③型外れの情報が遮断され経営に届かない、という三段の連鎖が探索を不可能にしている。

探索には、深化の言語化が先に要る

多くの経営者が、両利きの経営を「人事と組織図の問題」として処理しようとします。探索専門のチームを別に立て、新規事業部をつくる。オライリー氏とタッシュマン氏の言う構造分離[2]を、文字どおり実行するわけです。しかし、これだけでは足りません。新しい型を探索するチームをいくら分離しても、肝心の勝ちパターンが暗黙知のままでは、何を起点に探索すればよいのかが分からないからです。

深化と探索は、本来つながっています。既存の勝ちパターンのどこに効いている要素があるのかが見えて初めて、「ではその要素を別の顧客層や別の場面に当てたらどうなるか」という探索の仮説が立ちます。土台となる深化の中身が言語化されていなければ、探索は当てずっぽうの試行錯誤に堕します。両利きの経営が現場で回らないのは、理論が間違っているからではありません。深化の中身が二次情報、つまり加工済みの数字や報告書のままで、探索を立ち上げる一次情報が経営に届いていないからです。

生成AIが、深化と探索を一つの基盤の上で両立させる

マーチ氏が探索と深化を論じてから、両利きの経営は長く「組織設計でなんとかする」問題でした。しかし生成AIは、その前提を変えます。非構造の対話から判断の構造を取り出せるようになり、深化の中身そのものを形式知化できるようになったのです。

具体的にはこうです。現場の対話や商談の録音・議事録から、AIは「誰が、どの場面で、どんな仮説を出したのか」を抽出し、構造化するところまでを一気に引き受けます。ただし、AIが速いのはそこまでです。どの判断が本当に成果を分けたのかを見極め、自社の文化やスタイルに合った型へ設計し直す工程には、いまも人の手が要ります。私たちはこれまで、国内大手企業を中心に1,000名以上、計2万時間に及ぶ商談データをAIで解析してきました[5]。そこで見えたのは、成果を分けているのが「聞く力」ではない、という事実です。ハイパフォーマーは、業界によってローパフォーマーの2.0倍から3.2倍の頻度で、顧客に「仮説」をぶつけていました[5]。「お客様の話をよく聞きなさい」という日本の営業教育を、データが否定したのです。私たちはこれを「傾聴の呪縛」と名づけました。

ここで重要なのは、この解析が両利きの経営の両側に同時に効く、という点です。一方では、抽出された勝ちパターンを全員が共有することで、深化の質と速度が上がります。他方では、その勝ちパターンが形式知になって初めて、「この型を、別の業界や別の顧客層に当てたらどうか」という探索の起点が生まれます。深化のために言語化した一次情報が、そのまま探索の仮説の素材になるのです。私たちはこの、深化と探索を一つのデータ基盤の上で回す仕組みづくりこそ、組織変革の最小単位だと考えています。

2026年4月、KADOKAWAから拙著『生成AIで最強の組織が生まれる──トップと現場をつなぐ一次情報経営』を刊行しました。本書の中核命題は、現場の一次情報を要約に丸める前に、構造化して経営判断に直結させる「一次情報経営」にあります。両利きの経営に当てはめると、深化のための一次情報と探索のための一次情報は、実は同じ源から生まれます。だからこそ、暗黙知の構造化が深化と探索の両立の土台になるのです。

これを実践した例が日本M&Aセンター様です。営業の属人的な暗黙知を引き出し、形式知化することを起点に、商談に潜む本質的な情報をデータとして押さえ、会話量や顧客から得られた示唆を数値化していきました。その結果、シナジーに関する仮説提案にかける時間が受注率に最も寄与することを特定し、商談を100点満点で可視化できるようになっています。共通の勝ち筋という土台があるからこそ、そこからの探索も地に足のついたものになります。

同じ構図は、業界を越えて確かめられています。人材サービスのパソナ様では、ブラックボックスになりがちな面談の対話を可視化し、求職者の応募率と強い相関を持つ重要な5項目を定量的に特定しました。既存の面談力を磨き込む深化を進めると同時に、その知見を土台にAI模擬面接という新サービスの探索も構想しています。自動車のSUBARU様でも、商談・接客の一次情報が報告の過程で要約され、失われてしまう構造に対し、対話データをAIで解析して可視化し、勝ちパターンの再現と若手の育成につなげています。いずれの例も、磨き込んだ深化の中身を言語化したことが、次の探索の確かな足場になっています。

こうした構図を継続的に回すには、もう一つの設計が要ります。現場が型の実践の徹底に集中することは、正しい深化のあり方です。しかし現場担当者と経営では、本来見るべき目線が異なります。現場は足元の案件や成果に集中しており、組織横断で何が経営の論点になるかを拾い上げる役割は、本来担っていません。必要な情報が自然に上がってくることを期待するよりも、上がってこないことを前提に設計するほうが現実的です。

そのときに有効なのが、「経営として着目すべき観点をAIに教え込み、AIが定例会議の議論を自動解析して経営陣に届ける」という仕組みです。

あるIT企業では、毎週の経営会議で、各部門の報告を個別に読み上げるのではなく、AIが「経営として議論すべき横断論点」を自動で浮かび上がらせます。あるプロジェクトのリソース配分と別事業との優先順位の整合、ある部門の数値目標の超過達成の裏で別のKRが空白のまま続いているという構造的な非対称など、個別のレポートを読むだけでは見えてこない論点が、会議前に整理されて届きます。現場は型の実践に集中していい。経営が見るべき探索の起点は、AIが能動的に経営の目線で拾いに行く。この役割の分担こそ、両利きの経営を持続させる仕組みの実態です。

図2:社内のOKR週次分析ダッシュボード。経営として議論すべき横断論点をAIが自動抽出し、「なぜ経営論点か」の理由と具体的な議論ポイントをセットで提示する。図2:社内のOKR週次分析ダッシュボード。経営として議論すべき横断論点をAIが自動抽出し、「なぜ経営論点か」の理由と具体的な議論ポイントをセットで提示する。

図2:社内のOKR週次分析ダッシュボード。経営として議論すべき横断論点をAIが自動抽出し、「なぜ経営論点か」の理由と具体的な議論ポイントをセットで提示する。

同じ発想は、大手の製造業でも実践されています。従来、製造・技術開発・販売といった各部門の会議や報告は部門内で閉じており、横断的な連携は定例の報告会議を待つしかありませんでした。しかしAIが各部門の会議内容を自動解析し、「他部門の目線から見たとき、この情報は誰に届けるべきか」を判断してキュレーションする仕組みを整えることで、情報の孤立を構造的に解消しています。

たとえば製造部門でラインの歩留まり低下が議論され、技術・開発部門では新規サプライヤーの材料特性に関する課題が上がっている。販売部門では顧客からのクレームが発生している。それぞれは部門内で個別に処理されていますが、AIはこれらを品質保証部門の目線でつなぎ合わせ、「3つの情報は同じ問題を指している可能性がある」という示唆とともに、合同レビューを推奨します。各部門の担当者は自分の型の実践に集中していい。探索的な気づき、つまり部門をまたいだパターンの発見は、AIが自動的に担う。こうして探索的な活動が、現場の負荷を増やすことなく加速していきます。

図3:大手製造業でのAIクロス部門キュレーション。品質保証部門にとって関連性の高い他部門の会議内容をAIが自動で届け、部門横断の連携を促す。製造の歩留まり低下・技術開発の材料特性異常・販売部門への顧客クレームが一つの画面でつながり、合同レビューの優先実施が推奨されている。

図3:大手製造業でのAIクロス部門キュレーション。品質保証部門にとって関連性の高い他部門の会議内容をAIが自動で届け、部門横断の連携を促す。製造の歩留まり低下・技術開発の材料特性異常・販売部門への顧客クレームが一つの画面でつながり、合同レビューの優先実施が推奨されている。

ここで強調したいのは、これがツール導入の話ではない、ということです。ツールにできるのは記録と汎用的なスコアリングまでです。どの勝ちパターンを深化させ、どの一次情報を探索の起点に据えるのかを論点として定めるのは、経営の仕事です。私たちが現場の型をAIで特定し実装する取り組みを支援しているのは、まさにこの一点においてです。

両利きにできないのは個人の問題ではなく、OSの問題です

両利きの経営が組織で実現しないのは、現場の挑戦不足でも、探索チームの能力不足でもありません。勝ちパターンが暗黙知のまま固定され、評価の構造がその暗黙知への適合を促し、型を外れた一次情報が経営に届かなくなっている。この3つの構造が連鎖して、深化と探索を結ぶ一次情報が経営に存在しない状態をつくり出しているのです。問題は個人のスキルではなく、組織のOSにあります。

両利きの経営は、新しい部門をいくつ立ち上げたかで決まるのではありません。決め手は、現場で蓄積されてきた暗黙知が、要約に丸められる前に形式知へと変わり、既存の磨き込みにも新しい挑戦にも同じ燃料として効いているかどうかです。深化と探索は、別々の組織図に割り振る問題ではなく、一つの一次情報を二度生かせるかという経営OSの問題なのです。長年磨いてきた御社の勝ち筋は、いま言葉になっているでしょうか。そしてその言葉は、次の挑戦の出発点として使える形になっているでしょうか。両利きの経営は、この二つの問いが地続きになったとき、初めて回り始めます。

出典

  1. 両利きの組織(深化と探索の同時追求)の提唱 — Michael L. Tushman・Charles A. O'Reilly III「Ambidextrous Organizations: Managing Evolutionary and Revolutionary Change」California Management Review, 38(4), 8-30(1996年)。
  2. 探索部門と深化部門の構造分離+トップ層での統合、35件中9割以上が成功 — Charles A. O'Reilly III・Michael L. Tushman「The Ambidextrous Organization」Harvard Business Review, 82(4), 74-81(2004年4月)。なお両氏の体系的論述は共著『Lead and Disrupt』(Stanford University Press, 2016)に詳しい。
  3. 探索(exploration)と深化(exploitation)の原概念 — James G. March「Exploration and Exploitation in Organizational Learning」Organization Science, 2(1), 71-87(1991年)。
  4. 知識労働者は約2割を社内情報探索に費やす — McKinsey Global Institute「The Social Economy」(2012年7月)。
  5. 2万時間・1,000名以上の商談解析、仮説提示 IT2.0/人材3.2/M&A1.9倍、傾聴の呪縛 — Bring Out 自社リサーチ(公開済み数値)。
  6. 事例:日本M&Aセンター様(シナジー仮説提案時間が受注率に最も寄与・商談を100点満点で可視化)/パソナ様(面談を可視化し応募と相関する5項目を特定)/SUBARU様(商談・接客を可視化し再現と育成へ)— いずれもBring Out 公開事例。
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About the author

中野慧|ブリングアウトCEO

06年 東京大学教育学部学士。 米系戦略コンサル会社、ベイン・アンド・カンパニー: プロジェクトマネージャー リクルート: 事業開発部長。スタディサプリの事業拡大にプロデューサーとして携わる。 日本産業パートナーズ:DX顧問 ブリングアウトを2020年12月に起業。現職。

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